ありがとう!童話文学作家、寺村輝夫さん
寺村輝夫 児童文学作家の作品は、こちらでご紹介していますのでご覧ください。

2006年5月21日午後7時25分、児童文学作家、寺村輝夫先生が永遠の眠りにつかれました。
私の心には、ぽっかり穴があいてしまいました。そして今、深い悲しみにつつまれています。
寺村先生との最後の仕事となったのは「マヤイのとけいやさん」です。
それまでに描かせていただいた本は51冊にもなります。
寺村先生は、世界で一番、私の描く絵を認めてくださった方です。
先生の作品に絵をかかせていただけてほんとうに幸せでした。
でも私は、一作一作、もしかしてこれで最後の作品になるかもしれない、と思いながら、
とても緊張して仕事をしました。なぜなら、先生のおめがねにかなわなければきっともう次は
描かせてはいただけないと思っていたからです。だから私は、必死でした。
そして先生は絵が出来上がるたびに褒めてくださいました。私は先生に褒めてもらいたくて
絵をかいていたようなものです。
寺村先生は私に、感動、希望、自信、そして幸せをくださいました。
寺村先生、すばらしい作品をありがとうございました。
どうぞやすらかにおやすみくださいませ。

永井郁子

「ぼくは王さま」の絵を描かれた和歌山静子さんは、40年間にわたって
寺村先生とご一緒にお仕事をなさられてきました。
和歌山先輩が寺村輝夫先生の告別式でお読みになった弔辞を掲載させていただきます。


弔辞
寺村さん、今日は寺村さんとの約束を果たすために、ここにいます。
寺村さんがお元気なころ弔辞は和歌山静子に読んでもらうって言われたとき、私は何だか少し
嬉しい気分で、読ませて戴きます。なんてうっかり約束なんかしてしまい、こうして現実を
目の前につき付けられて寺村さんのことを話そうとしたら、一日中あったってたりないほど
たくさん話たいことがあります。
寺村さんに始めて会ったころから、寺村さんは王さまそのものだなって、思っていました。
寺村さんは自分のことを書かれてたんですよね。だって王さまと同じようにわがままで、
おこりんぼうで、威張っていて、でもどっかかわいいところがあって、そんな王さまを支えて
いたのは、大臣です。現実の大臣は奥様の玲子さんですよね。
王さまをふわっとつつむような玲子さんとくらせてほんとうによかったですね。そして大好き
なアフリカに二人で毎年訪れたのは寺村さんの玲子さんに対する優しさだったのでしょう。
私も2回一緒に行きました。私は寺村さんが一番好きな動物は象だったことを象の絵を描くた
びに思い出します。アフリカの青い空の下でマージャンに興じていた寺村さんを忘れません。
アフリカでキャンプしたとき卵を一グロスも買ってしまったこと、いくら卵が好きな王さまで
もあれは多すぎました。卵を見るたびに寺村さんを思い出します。アフリカを思い出します。
せっかちな寺村さんだけど玲子さんとわたしを天国に早くに呼ばないで下さい。根気よく寺村
さんにつきあった編集者の岸井さんと玲子さんと私で、寺村さんの残された作品を絵本にした
りする仕事でいそがしいので当分行けません。最後に寺村さんの素晴らしい所を話して終わりにします。
寺村さんは自分の作品の絵を、誰に描いてもらうかの選択は殆どご自分でなさっていました。
私の王さま・永井郁子さんの「かいぞくポケット」ヒサ・クニヒコさんの「寺村輝夫のとんち
話し」などまるでパズルのピースがぴたっとはまるように絵にたいする感覚がすばらしい人
でした。寺村さんの残されたたくさんの作品で、私達はとても楽しいときを過ごすことが
出来ました。ありがとうございました。寺村さんの本はこれからも、読みつがれて行くでしょう。
いつでも寺村輝夫は私達のそばにいます。だからさよならなんかいいません。

和歌山静子

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